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補聴器のカロル

きこえ生活コーディネート
1.加齢と難聴
多くの方は、年齢が上がると「耳が遠く」なります。
このことを医学的には、「加齢性難聴」または「老人性難聴」と呼んでいます。
かなり個人差はありますが、広く起こってくる老化現象、と言えます。
おおよそ50歳代からその兆候は現れる、とされ、60歳代前半で10~20人に一人(5%~10%)、同じく60歳代後半で3人に一人(30%以上)、75歳以上の後期高齢者と呼ばれる年代になると、70%以上の出現率になるという報告があります。
加齢性難聴は60歳~70歳代の約10年間で、加速度的に増える、ということが言えるようです。
兵庫県加古川市医師会が、ホームページで、「加齢性難聴の特徴」として8つの点を挙げています。
1.高音域の低下が著しく中・低音域は比較的よく保たれている。
2.原則として左右対称である。
3.加齢とともに進行する。
4.男女差がみられる。(男性の方が聴力低下は大きい)
これは職場での騒音による影響と考えられます。
5.単純な音は聴こえるが、ことばの聴き取り能力が低下する。
6.難聴の程度は高年齢になるほど個人差が大きくなる。
(年齢にあまりこだわらないほうがよい)
7.難聴者はなぜか難聴を隠す傾向が強い。
(難聴であることを認めようとしない)
8.ゆっくり、区切って会話をすれば日常会話はだいたい可能である。
(むしろ耳元であまり大きな声で話すとかえって聴きづらくなる)
私は長く医療ソーシャルワーカーをしていて、その経歴の視点から見ますと、7番目に挙げられている、
「難聴者はなぜか難聴を隠す傾向が強い(難聴であることを認めようとしない)」という点について、経験上からも非常によくわかりますし、「どうしてそうなるのだろう」と、強く関心を惹かれます。この点については、別のところでよく考えてみたいと思います。
さて、加齢性難聴が起こる原因ですが、耳のつくり、構造という点から申しますと、耳全体は外側から順に、外耳・中耳・内耳に区分されています。
いちばん奥の「内耳」のエリアに、「蝸牛(かぎゅう)」という、うずまき状の器官があって、この中に、聴毛(ちょうもう)という感覚毛を備えた「有毛細胞」があります。
片方ずつ、それぞれ15,000個ほどの有毛細胞が並んでいて、この細胞が空気の振動をキャッチして電気信号に変換し、その信号が聴神経を通って脳に届くことで音がきこえる、おおまかにはこういう仕組みになっています。
前置きはここまでにして加齢性難聴の原因に行きますと、長年にわたり音を聞き続けることで、この有毛細胞が摩耗してくる、欠損する。これにより、空気振動のキャッチと電気信号への変換がうまくいかなくなって耳が遠くなる、と、これもかなりかんたんな説明ですが、このようになっています。
ある介護施設の施設長、50代のとても元気な女性でしたが、こちらの方とこの有毛細胞の摩耗・欠損の話をしていましたら、
「やっぱり歳とってくると、耳の中も毛が抜けてくるのねえ!」と。
妙に力強く納得させられました。


健常な有毛細胞の電子顕微鏡写真
2.加齢性難聴と認知症
2015(平成27)年に厚生労働省が発表した「新オレンジプラン
(認知症施策推進総合戦略)」の中で、「難聴が認知症の危険因子となり得る」と明記されました。
その部分の原文を引用すると、次のようになっています。
加齢、遺伝性のもの、高血圧、糖尿病、喫煙、頭部外傷、難聴等が認知症の危険因子、運動、食事、余暇活動、社会的参加、認知訓練、活発な精神活動等が認知症の防御因子とされている。
(アンダーラインは当社)
その後、私が目にした一般向けの大手メディア情報として、
◆NHK健康チャンネル 2018年9月20日 「耳の老化、加齢性難聴とは? 高音が聞こえない原因と補聴器の選び方」
◆文春オンライン 2018年10月6日 「補聴器をつけないと『難聴』が認知症の原因になる」
◆週刊新潮 2019年9月19日 「人は耳から衰える! 気づかなければ『認知症』『うつ病』リスク増大の『加齢性難聴』」
◆週刊ポスト 2020年3月20日 「医療現場からの警告/『聞こえにくい』は大病のサインだ その『難聴』は死につながっている」
等があります。
海外の研究・報告事例についても豊富に紹介されているものがあり、たとえば上記の週刊新潮は、イギリスの著名医学雑誌「ランセット」が2017年に掲載した論文を、次のように紹介しています。
>論文では、“本人が意図すれば改善できる認知症の危険因子”を九つ提示して、リスクを分析。糖尿病や高血圧、肥満などを差し置いて、中年期(45歳以上、65歳未満)以降の難聴を、認知症にとって最も大きなリスク要因に挙げた。
「本人が意図すれば改善できる」というのが重要なポイントです。高血圧を防いだり血糖値を下げたりする努力もさることながら、難聴への対策をすることの、認知症予防へのインパクトはきわめて大きい、と考えられるわけです。
「認知症」と一口に言っても、ものわすれ、見当識障害(今がいつで、ここがどこだか等がわからなくなる)、強い不安や焦燥などの認知症症状を呈する病気は100種類以上におよぶと言われ、代表的な認知症であるアルツハイマー型認知症について考えてみても、その発症メカニズムは解明されている部分がかなりあるものの、根本的な原因については不明なままです。
会社の第一線でバリバリ働いている40~50代の方が、あるとき急に若年性認知症を発症することがありますし、のんびりとちゃぶ台の前に座ってテレビを眺めるのが日課という90代後半のお年寄りに、別段ものわすれがない、ということもめずらしくはありません。
認知症に関しては、「こうだからこう」「こうするとこうなる」という、単純な因果関係は見当たらないようです。
補聴器を使ってきこえの改善をはかったから認知症にならない、とはたぶん言えませんが、日常生活において耳の遠さをそのままにしておくと起こりがちなことに、「無口になる」という状態があります。
周囲で、耳の遠い方の様子を継続的に拝見していると、そのことがよく見受けられます。
会話のキャッチボールが成り立つには、相手の発言が「きこえる」ことに加えて、その内容を「理解する」ことが不可欠です。
3~4人でおしゃべりしていて、その中に耳の遠い人がいる場合、その方はなかなか会話に参加できなかったりします。
耳が遠くても、声=音=「サウンド」は聞こえている、耳を通じて脳に届いている。しかしながら、「何を言っているのかは、わからない」。
相手が何を言っているのかわからなければ、会話にはなりません。
「もう一回言って」と聞き直すのも、たびたびとなると気が引けたり、気まずくなったりするものです。
とりあえずきこえているような感じで、適当にあいづちを打ったり、いっそしゃべらずにそこに座っているだけでも、なんとかなる。それが繰り返されて習い性になっていくにつれて、だんだんと無口になっていく。
そのうちに、人と会うのもおっくうになって、孤立しがち、閉じこもりがちになる。
このように、社会的なつながりや交流、そこから受けるさまざまな刺激が、「きこえづらさ」を原因として減っていくのは、認知症のリスクとしてあり得ることだと思います。
3.加齢性難聴と補聴器
加齢性難聴は、耳鼻科的治療による完治は望めない、と言われています。薬をのんでも、注射をしても、手術をしても、耳の遠いのは治せない、というわけです。
眼科に通っても老眼が治らないのと同じ、と言えるかもしれません。
雑誌やネットなどで専門医の意見を調べると、どこにも同じように「加齢性難聴に対するもっとも有効な手段は、補聴器を付けること」と載っています。
しかも、出来るだけ早いうちに付け始めることが望ましい、と言われます。
加齢性難聴の特徴のひとつに、高い音、高音域が顕著にきこえづらくなる、というのがあります。男性の声より、女性の声の方が、一般的にはきこえにくい。
耳の遠い方に、小鳥のさえずりをきいてもらうと「なんだかザワザワいってるみたいだけど、何の音かわからない」と、よくおっしゃいます。
話しことばでは、母音(あ、い、う、え、お)は比較的低音域で、子音(か、き、く、け、こ さ、し、す、せ、そ・・・)は高音域に属します。
そのため、耳の遠い方は、子音のきき取りが苦手になったり、音(おん)の混同が起こったりすることが多く、「かとうさん」と「さとうさん」、この区別がつきづらくなることがよくあります。
「網(あみ)⇔波(なみ)」、「牛(うし)⇔寿司(すし)⇔虫(むし)」、こうしたきき間違いが起きやすく、また、「お金」を「お酒」ときいたりします。
これらのことは、何も耳の遠いお年寄りだけに起こる問題ではなく、現役で仕事をしている若い方であっても、とくに電話などでは、きき間違いと訂正はしょっちゅうでしょう。
気を付けるべきなのは、きき間違いや音の混同、ききとりの不明瞭さが日常化して、それが長年にわたると、それが脳の中で固定化してしまうことです。
これまでずっと「か」なのか「さ」なのかはっきりわからない状態で過ごしてきた方は、たとえば補聴器を使って音声が耳から脳へ届いてきても、やっぱり区別はつきにくいまま、という可能性が大きくなります。
サウンドとして脳に届いても、その意味を理解しなければ、「きいた」「きこえた」ことにはならないわけです。
補聴器を使うのは早い方がいい、と勧められるのは、こうした理由です。
一般的に、かなりの程度まで耳が遠くなってから、やっと使い始めるもの、というイメージが補聴器につきまとっていますが、早い方が性能を十分に生かせるし、効果もいっそう期待できます。
4.補聴器とリハビリテーション
きこえのご相談をしていると、
「補聴器は持ってるけど、使ってない」
「タンスにしまいっぱなし」
とお聞きすることが、よくあります。
「うちには3台あるよ。もう補聴器はこりごり」
なんて方も、いらっしゃいます。
私の見聞が狭いせいもありますが、補聴器を「買ってよかった」、「手放せない」、と言う方には、残念ながらあまり会ったことがありません。
どうしてこういうことが起こるのでしょう。
ひとつには、「お金を出して買った機械」なので、それに対する期待度が高いことが、あるように思います。
カエサルの「来た、見た、勝った」じゃないですが、「買った、付けた、きこえた、ハッピー」、こうなることを皆さんが期待されるのは、当然な部分もあります。
しかし、不本意ながらタンスの肥やしになったり、2台目、3台目を買うのがめずらしくなかったりするのは、補聴器が「買って付けたら万事OK」なものではないことを示しています。
日本補聴器工業会が「補聴器を持っていても使わない理由」を尋ねるアンケートをおこないました。
回答の第1位は「わずらわしいから」で、70%の人がこう答えています。
これは、少なくともふたつの意味でもったいない話で、まずひとつ目には何と言ってもお金がもったいない。
2台、3台とタンスの引き出しに入れっぱなしの方もいらっしゃり、安くはない金額で購入された補聴器が、宝の持ち腐れになってしまっています。
もう一つには、せっかくきこえの問題を解決できる土俵へ上がられたのに、そこから先へ進むことなく降りてしまった、というもったいなさです。
好きで降りたわけではない、と思いますが、降りてしまわれたのではいかんともしがたい。
そもそも、補聴器はそこまでわずらわしいものなのでしょうか。
7割の方がそうおっしゃるのですからそうなのでしょうけれど、なにゆえそれほどにわずらわしいのか。
現在の補聴器は性能がたいへん優れており、使う人それぞれの「きこえづらさ」に合わせて、かなりの調整(フィッティング)ができます。
補聴器が進歩している一方で、耳が遠いというのは、言い換えれば「静かな環境」とも言えるので、それ自体はご本人にとって不快な状態ではありません。
それまではほとんど耳に入ってこなかった、水道の音、エアコンの音、スリッパをはいて歩く足音、ドアや障子・ふすまの開閉音、新聞をめくる音、自分の呼吸音などなどが、ある程度は補聴器を通じて耳に流れ込んできます。
もちろん、雑音や騒音の抑制機能が付いている補聴器はありますが、いくら高性能でも、完璧に遮断することは不可能です。
初めて補聴器を付けた時は、目の前で話す人の声が、驚くほどクリアに聞こえるので感激なさるのですが、試聴で2日、3日、と使っているうちに、前述したような、生活の中でのさまざまな雑音も拾ってしまうので、どうにも気になって仕方ない。
いかんせんちょっとわずらわしいので、ききとりのボリューム、感度を少し下げるように調整すると、今度はかんじんの会話がもの足りない。
上げるとうるさくてわずらわしいし、下げるといま一つ役に立たない。
これを繰り返しているうちにだんだんとめんどくさくなって、いっそのこと付けない方がまし、となってしまう。
皆さんがそうだとは限りませんが、こんなことが少なからず起きているようです。
さて、「わずらわしい」のは、補聴器だけのせいなのでしょうか。
話がちょっと飛びますが、心理学で語られる脳の機能のひとつに、
「カクテルパーティ効果」
というのがあります。
カクテルパーティとは、われわれ日本人にはいまいち馴染みがない感じですが、いわゆる立食パーティのようなものでしょう。
こうした集まりでは、参加者はみな好き勝手に談笑しており、そのほかにもバンドの生演奏やらBGMやら、司会者が何かしゃべっていたりとか、食器やグラスのふれ合う音やら足音やら衣ずれやら、とにかく会場の中はいろいろな音が混ざり合って雑然、騒然としているわけです。
そうした中でも、たとえば私でしたら、
「あれ、小川さん、来てたの? 久しぶり!」
という感じで声をかけてもらえると、声の主が少しくらい離れていても、また、言われたことの全部がはっきり聞こえていなくても、自分の名前である「小川さん」にピッと反応して、
「ん? いま呼ばれたな?」
と、声の主を探します。
それで、そのなつかしい知り合いとあいさつして近況報告などが始まったら、周囲のざわめきはスーッと背景に押し下げられて、相手の話すことだけに意識と注意が向きます。
多少、周りがざわついていても、ほとんど気になりません。
別に、われわれの再会に周囲が気を使って談笑や音楽のボリュームを下げてくれたわけではなく、私の脳が、「雑音抑制モード」に自動的に切り替わったのです。私にもともと備わっている「ノイズキャンセリング機能」です。
こうした、「周囲の環境のうち、自分に必要な事柄だけを選択して聞き取ったり、見たりする脳の働き」が、カクテルパーティ効果です。
このカクテルパーティ効果は、おしゃれをしてホテルの宴会場に繰り出したときでなくても、日常的に発揮されています。
親子がひとつのリビングルームにいて、お父さんとお母さんは今度の連休の予定を話し合い、子どもたちはテレビでアニメを見ている。
夫婦と子どもたちとの間で、互いの会話や音声はほとんど気になりませんし、よほどどちらかのボリュームが大きくない限り、相手方の邪魔になることもありません。
脳が、「自分に必要な事柄だけを選択して聞き取っ」ているのです。
長年にわたって耳の遠い生活を送ると、このカクテルパーティ効果の働きが、低下してしまうことが考えられます。頭にしても、身体にしても、使わない力や機能は、どうしても衰えます。
補聴器に、必要な声や音だけを選択することは出来ません。高度な調整機能がついていますが、限界はあって、きこえを保証するためには、周波数帯が近いほかの音声も流れ込んできます。
耳は、キャッチした音に対しては「平等」で「公平」です。
この音は脳に届けよう、これはやめておこう、という判断・区別を耳がおこなうことはありませんし、耳にその芸当はできません。
届けられた音声を、選択し、判断し、理解して対応するのは、脳の働きです。
「きく」、というのは、脳の働きにほかなりません。
きこえの改善と回復は、脳のリハビリテーションであると言えます。
その一つとして、弱ってしまったカクテルパーティ効果を取り戻すことがあります。
補聴器を付けて雑音がわずらわしいのを、全部補聴器のせいにするのは、ちょっと酷というものです。
補聴器にもしっかり働いてもらわなければなりませんが、わずらわしさの根本は、付けている本人の、脳の働きに原因があるわけです。
補聴器は、脳がきこえのリハビリをするための補助具です。
買って付けるのがゴールではなく、そこからが始まりです。
そして、リハビリの効果は、残存機能が大きいほど、早く、高く現れます。
早めの補聴器使用が推奨されるのは、こういったわけでもあります。
5.補聴器の普及
難聴の人、それから難聴の可能性がある人に対する補聴器の普及率が調査されています。それによりますと、日本での補聴器普及率は14%、となっています。
この数値は近年ほとんど変動がありません。ずっと、だいたい14%です。
別に厚労省がいいとか悪いとかというわけではありませんが、新オレンジプランが出る前も、出てからも同じです。
いわゆる先進国間との比較ですと、欧米諸国では、低くて30%台、高いところでは40%を超えています。
日本とは、だいぶ開きがあります。
これは理屈に合わない話で、補聴器を購入する大きな動機の一つが加齢性難聴だとすると、日本の高齢化率(65歳以上の人口比率)は、断トツの世界一なのです。2位のイタリアを大きく引き離しています。
ごく自然に考えて、日本ではせめて欧米並みに補聴器が普及しても、なんら不思議ではありません。
専門家も、メディアも、加齢性難聴は認知症の危険因子であり、それを防ぐうえでは補聴器の使用がもっとも効果的、と大々的に謳っていますが、補聴器普及率はかなり低い水準で横ばいのままです。
これはいったいなぜなのか。
次のような仮説が成り立つかもしれません。
欧米の言語は子音主体であり、子音は高音域に属するものが多いので、高齢者は補聴器できこえを補わないとコミュニケーションが成立しづらい。
いっぽう、われわれの使う日本語は比較的母音が主体で、低音域の発語である傾向が強い。そのため、補聴器を使わなくても「なんとか通じる」場面が多く、結果、補聴器の普及率は低い。
理屈としてありそうですが、説得力十分とも思いにくい。
日本語にだって子音で構成されている言葉などいくらでもあり、母音/子音の構成比率が欧米に比べてすごく低い、などということがあるでしょうか?
長年にわたって介護・医療の現場で仕事をしてきましたが、概して、補聴器に対してはかなりネガティブなイメージが定着しています。
「付けてもきこえてないみたい」
「ピーピーガーガーいって(ハウリングして)周りに迷惑」
「なくされたら困るし」
等々、いろいろですが、
「やっぱり付けてないと不便」
「ちゃんと役に立っている」
という声は、あまり聞こえてきません。
なぜ、日本では補聴器にプラスの評価があまり与えられないのでしょうか。
6.きこえと日本人の心性(私見)
高齢化率は断トツの世界一でありながら、補聴器の普及率はきわめて低い日本。
「年寄りくさい、と嫌がられる」、という意見もあって、それはそれで言える部分がありそうですが、それならば老眼鏡は?、杖は?、シルバーカーは? どうなんでしょうと問いたくなります。
いまのデジタル補聴器は小型化してデザインもかなり洗練され、正面からだと、付けているかどうか、ぱっと見ではまずわかりません。
「付けてるんですよ、ほら」と見せられて、初めて気づくことの方が多いですし、女性で耳が隠れるヘアスタイルの場合は、黙っていれば絶対にわからないと言えます。
老眼鏡は、レンズの厚さや、手元を見るときに外す動作などから、近眼用や乱視用のメガネとは違うことが気づかれやすい。でも、かけている本人も、周囲も、老眼鏡がそれほど年寄りじみたグッズだとは気にしません。
杖やシルバーカーに至っては、目立たないように使うなど不可能です。
でも、「これがないとダメ」と頼りにする人は多く、皆さん堂々と使っていて、「こんなものにすがって歩くようじゃ、もうおしまいだ」などと悲観しながら杖を突き、シルバーカーを押している人は、あまりいないようです。
どうして補聴器だけが、「こんなに小さくなって、付けているかどうか、わかりません!」というのが宣伝文句になるほど、人目を忍ぶ立場に追いやられているのでしょうか。
どうも腑に落ちない。
われわれ日本人は「きこえ」というものについて、どんな感性をもっているでしょうか。
日本人は、「言語に頼らないコミュニケーション」を非常に重視し、美化する傾向があると思います。
「百聞は一見に如かず」
「以心伝心」
こうした言葉は、非常にプラスの意味合いをもって、われわれになじんでいます。
「目は口ほどにものを言い」
だから、うそはつき通せるものではなく、
「みなまで言うな」
と、鬼平みたいなボスが言うと、カッコええなあ、としびれます。
「一を聞いて十を知る」、
やっぱり、できる奴とはそういうものだし、
「巧言令色鮮(すくな)し仁」、
口がうまく調子のよい人はだいぶ評価が下がります。
ことばのいらない世界、ことばがなくても通じ合える間柄が、私たちは大好きです。
反対に、「口に出して言わなきゃわからん」ようなのはよろしくない。
寅さんは言います。
「それを言っちゃあ、おしまいよ」
私たちはこれを聞いて、寅さんのやさしさ、思いやりに胸をうたれるのです。
考えてみると、「それを言っちゃあ」の「それ」は、たいてい、本当のことであり、正論です。間違ったことや、悪意のある発言ではないのがほとんど。
しかし、いくら本当のことでも、正論でも、「言っていいことと悪いことがあるだろう?」と、寅さんは諭すわけです。
相手のことを思いやるなら、黙って腹に収めよう。
「本当のことを言って何が悪い」と開き直るより、沈黙の方を、私たちははるかに尊ぶ傾向があります。
もののあはれ
侘び寂(わびさび)
粋(いき)
風流
風情・・・
ことばのいらない世界、ことばがほとんど意味を持たない世界に私たちはあこがれ、それをとても大切にします。
余計なことを言って、場を台無しにする
「空気を読まない」
「無粋」な
「野暮天」は、お呼びでない。
また、日本人は、自分たちの聴力に、独特な自信を持っています。
よく言われるのが、
「欧米人は、秋の夜に鳴く虫の声を、単なる雑音としか聞くことが出来ない。われわれ日本人は、スズムシなのか、コオロギなのかをちゃんときき分けて、風情を味わうことができる」
というもの。
それから、最近は夏になって軒下に風鈴を吊るす家はだいぶ減りましたが(うるさい、という近所からのクレームがやっかいなのもあると思います)、
「音で涼をとる」
という感性は、実に日本特有なものです。
これらは、「日本に生まれてよかった!」という思いを補強する例として、挙げることができます。
自国の文化に誇りを持つのはとても良いことです。
「日本人の聴力はすぐれた特長をもっている」、この文化的伝承は、幼い子どものころからけっこう強力に刷り込まれます。
こうしたことは、私たちの、きこえに関する認識に、深い影響を及ぼしているように感じられます。
少し脱線しましたが、反対から見ると、私たちは、徹底的に議論を尽くし、話し合いを突き詰めてその果てに分かり合う、というのを、あまり好まない面があります。
どちらかというと、「まあまあ、そう熱くならないで」と、対立や食い違いをあいまいにして、その場を丸く収めることの方が多い。
白黒はっきりつけるよりも、「喧嘩両成敗」で「どっちもどっち」のグレーな判定になることがよくありますし、「世の中はお互い様なんだから」、と、たいていの人はそう言います。
だれかが「まあまあ」と言うときには、相手の言い分をほとんど聞いていません。ろくに聞かず、適当に「まあまあ」とやるのであり、逆に、きちんと耳を傾けてしまったら「まあまあ」とは、口にできないでしょう。
「まあまあ」と言われて、とにかくその場が収まることがあるのですから、このあたりの感覚は、欧米人その他の外国人には、なかなか理解されないところかもしれません。
「なにがマアマアだ!」と火に油を注ぐことも、たまにはありますが。
全般的にみて、一言一句をおろそかにしない几帳面さ、執着心、こうしたものが、多くの日本人には薄いように感じます。
ここで、加齢性難聴の特徴のひとつが思い出されます。
>難聴者はなぜか難聴を隠す傾向が強い
(難聴であることを認めようとしない)
「お父さん、きいてるの?」
「ああ、きいてる」
「お母さん、きこえてる?」
「きこえてるよ、ちゃんと」
ここで、「うそ! きこえてないくせに!」と言ったりすると、たちまち空気は険悪になります。
もしかしたら、ですが、耳の遠いお年寄りの多くは、きこえていないのを隠すつもりはなく、強がったりうそをついたりしているのでもなく、本当に「きいている」「きこえている」と思っているのではないか。
日常的に、きっちりと言葉で伝えきることが少なく、だいたい「いい加減」なところでわかりあったことになっている。それで日常がうまく回る。
そういう生活を何年、何十年、考えようによっては何世代も続けてきているので、「だいたいわかっている」ことが「きこえている」こととイコールになっているのではないか。
それが、ごく一般的な日本人の感覚であるように思います。
きっちりした言語コミュニケーション以上に、ふわっと心地よい非言語コミュニケーションを大切にする。
こう考えてきますと、多くの人が「補聴器なんていらない」と考える理由や背景が、見えてくる気がします。
7.きこえと生活
75歳以上になると、約7割の人が加齢性難聴になる、と言われています。
ここで考えるべきなのは、いまや「人生百年」と言われる時代になった、ということです。
病院で仕事をしてきて、最近になり痛感するのは、「むかしは、これほど高齢の患者さんがいなかった」ということです。
私が病院で働き始めたころも、もちろん、90代の患者さん、中には100歳を超えた方もいらっしゃいました。
しかし、今は、当時と比較して、明らかに超高齢の患者さんが増えています。
医療技術の進歩のおかげもあって、以前なら「年齢も年齢ですから、これはやめておきましょう」ということになりがちであった高度な検査や、大がかりな手術などを、高齢の方もどんどん受けるようになりました。
そして、私から見ればもう人生の大先輩である子どもさんの運転する車に乗って、お元気に自宅へ退院して行く。
いやはや天晴れ、と心から言いたくなる患者さんとご家族に、何組もお会いするのです。
日本の平均寿命は男女ともに世界ナンバーワンで、その伸び方をグラフで見ると、いまさらながらびっくりします。
ほんの20年ほど前までは、男性なら70代後半が平均寿命でした。
身もふたもないことを言って申し訳ないのですが、加齢性難聴の症状が現れたとして、耳が遠くなってからお亡くなりになるまでの年数が概して短かった。
ところが今は人生百年です。仮に70歳で加齢性難聴が顕著になったとして、単純ですが100歳までは30年あります。
仕事が一段落したら孫たちの世話に追われ、彼らが成人して社会人になって結婚すると、今度はひ孫が4~5人、束になってやって来る。これだけの年月が老後にまだ残っています。
その短くない年月を、良好なコミュニケーションを保って明るく楽しく過ごすにはどうするか、これは真剣に検討するに値する問題です。
もうひとつ、人生百年時代に絡んで、こちらはあまり愉快な話ではありませんが、介護保険制度の財政難、それから人材難の問題があります。
介護保険制度がスタートしたとき、利用者負担は1割でした。
たとえば介護ベッドを借りて、レンタル料が月額一万円だった場合、9,000円は介護保険から出て、利用者負担は1,000円になります。
長年、自己負担割合は一律で1割だったのですが、2015(平成27)年に2割、2018(平成30)年には3割負担が導入されました。
これでもまだ、「介護保険財政は破綻するんじゃないか」という懸念はまったく消えていません。
介護の世界で、お金が足りないのと同じくらい深刻なのが、人が足りない問題です。
いま(2020年時点)でも全国的な介護人材不足は起きていて、推計で13万人足りない、と言われています。
これが2025年になると、不足人数は34万人と計算されています。今と比較してさらに3倍弱、足りなくなるのです。要介護のお年寄りが、今後も急速に増えていくと予想されるためです。
この状況に対応するために、海外から、日本の介護業界で働く人を招き入れる制度がスタートしていますが、なかなか計画通りに行かない部分が多々あります。
そうは言いましても、厳しい現状と未来予測に基づいて、出来ること、やるべきことに取り組んでいかなければなりません。
悪いシナリオで考えると、介護保険料は納めている、高齢者施設へ入居する家賃も払える、つまり、お金は持っているけれど、人手不足のために望んでいる介護保険サービスが受けられないことが、起こるかもしれません。
この事態を見越したとき、私たち一人ひとりが目指した方がよいのは、「要介護状態にならないよう気をつける」ことでしょう。
それをわかりやすく表現したのが「PPK(ピンピンコロリ)」です。
ピンピンコロリと、言うは易く、行うは難し、ですが、
身体が弱ってくると、体調や体力に配慮する気力も衰えてきますから、元気なうちに予防策を積極的に取り入れることが大切だと思います。
私も仕事柄、大勢の方と生活設計の相談をしてきました。本格的に具合が悪くなって動けなくなる前の、早めの対応を提案しても、「まあ、そんときになったら考えるワ」と言う方がけっこう多く、「いや、気持ちはわかるけど、そんとき、になっちゃったら遅いんじゃないかなあ」と話し込むことがよくありました。
きこえの問題に焦点を絞り直すと、寿命の伸びと合わせて注目したいのが、われわれの日常生活が、昔とは比較にならないほど、さまざまな音、騒音に満ちていることです。
ほんの少し前までは、3歳の子どもがカラオケボックスへ行って大音量の中で歌を歌うなど、とても考えられない光景でした。
私はパチンコをやらないのですが、パチンコホールに入ったことは何回もあります。まさに「耳を聾する」という表現がぴったりの、圧倒的な音の洪水。馴れていない身にはなかなか我慢しづらいものがあります。
ソニーのウォークマンが世に出たのは1979(昭和54)年です。爆発的にヒットして街にあふれましたが、ヘッドフォンをしていたのは主として若者層で、多くの大人たちは当時、「外へ出て耳をふさぐなんて」と、批判的な目を向けていました。
それが今や、電車に乗ってもバスに乗っても道や公園を歩いても、老若男女、多くの人々が、スマホにつないだイヤフォンを耳に差し込んでいます。
昔とはくらべものにならないかたちで、私たちは四六時中、何かの音、しかも機械的に増幅された大音量にさらされています。静かだと逆に気になる、落ち着かない、という人も、けっこういます。
耳への負担は、以前とは比較になりません。
つまり、寿命が伸びて、加齢性難聴が始まってから亡くなるまでの期間が長くなったことと合わせて、生活環境的に、若いうちから難聴になるリスクが高まっている、と考えられるのです。
いろいろな技術の発達で私たちの生活は便利になりましたが、その便利さを個別に見直してみると、音に頼る面はかなりあります。
電子レンジ、炊飯器、電気ポットなどは電子音で出来上がりを知らせてきますし、ガスコンロのつけっぱなしや冷蔵庫の開けっ放しも、アラームが鳴ります。
カーナビは、画面だけで見るより、音声案内があった方がやっぱり数倍便利で、楽です。
私たちは、毎日毎日、耳を酷使していますが、いや、酷使しているからこそ、生活におけるきこえの重要性は、以前にも増して高まっている、と言えるようです。
高齢化、という観点に関連して、社会で話題が尽きないのが「振り込め詐欺」です。
警察庁のホームページに載っている手口の一端として、たとえばこんな理由でお年寄りのところへ電話がかかってきます。
会社の金を使い込んだのがバレた!
浮気をして、相手を妊娠させてしまった!
交通事故の示談金を支払わないといけない!
借金の返済に追われている・・・
株に手を出し、失敗をしてしまった・・・
会社の小切手が入った鞄を置き忘れた!
同じく警察庁のホームページでは、次のように注意喚起がおこなわれています。
大規模な自然災害が発生した後には、災害に便乗した義援金・寄付金などをかたった詐欺が発生したり、また「マイナンバー制度」や「オリンピックの開催」など、新たな政策や制度やその時々の社会の出来事に便乗した特殊詐欺等の被害が多く発生しています。
不審な電話やメールなどがあった際は詐欺を疑い、一人で行動する前に、必ず家族や警察に相談してください。
(アンダーラインは当社)
加齢性難聴では、ききづらさやきき間違いが起こるのと合わせ、概して「早口をきくのが苦手」になります。
風邪を引いたのでマスクをしている、とかの言い訳をしてききにくい声で話すうえ、焦っているふうを装って早口でまくしたてられると、加齢性難聴の人にとっては二重、三重のハンデになります。
警察庁のいうように「ん? これはあやしいぞ」と頭の中でアラームを鳴らし、詐欺を疑えるためには、相手の話を正確にききとれることが、不可欠になります。
高齢化率国際比較


