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補聴器のカロル

コラム
言葉にできない 心ここにあらざれば 恋は言葉じゃなく More Than Words 女は無口な ひとがいい
わたしは自分から 云いよったりしない わたし待つわ ヒトはいつからきこえ始めるか お母さんの気分と赤ちゃんの機嫌
赤ちゃんの抱っこ 赤ちゃんが泣き止む音 何も言わないで 子どもの言い間違い 子どもの言い間違い 2
言いまつがい Close your eyes Close your eyes 2 今度こそ言ってやる 始めに言葉ありき 「こおろこおろ」
言霊 耳を洗う 口を慎め リクルートメント現象 子育てと五感 1 子育てと五感 2 「事実であっても言葉に出さない」1 「事実であっても言葉に出さない」2 言わぬが花 秘すれば花 早口電話でだまされそうに
言葉にできない
別の個所で、われわれ日本人の
「非言語コミュニケーション」に対する
感覚や思いについて考えてみましたが、
たとえば、このオフコース1982年の名曲にも、
実にしみじみと、心揺さぶられるものがあります。
言葉にできない
作詞:小田和正
la la la・・・
終わる筈のない愛が途絶えた
いのち尽きてゆくように
ちがう きっとちがう 心が叫んでる
ひとりでは生きてゆけなくて
また誰れかを愛している
こころ 哀しくて 言葉にできない
la la la・・・
言葉にできない
せつない嘘をついては
いいわけをのみこんで
果たせぬ あの頃の夢は もう消えた
誰れのせいでもない
自分がちいさすぎるから
それが くやしくて 言葉にできない
Woo
今は
あなたに会えて ほんとうによかった
嬉しくて 嬉しくて 言葉にできない
Uh
あなたに会えて
言葉にできない
今 あなたに会えて
心ここにあらざれば
心ここにあらざれば
視れども見えず
聴けども聞こえず
食らえどもその味を知らず
心不在焉
視而不見
聴而不聞
食而不知其味
紀元前半世紀頃(約2,500年前)に成立したと言われる
中国の古典『大学』の、有名な一節です。
徳を修めようとする人の心がまえを説いたものですが、現代心理学の観点からすれば、「注意と選択」の機能である、と言えます。
人間、きく気持ちのないことは耳に入って来ず、みる気のないものは眺めていても頭の中で映像になりません。
歌にすれば、
いま なんて言ったの
他のこと考えて
君のこと
ぼんやり見てた
と、いうわけです。
(たまたまオフコースが続きましたが)
恋は言葉じゃなく
「いとしのエリー」と並ぶ、サザンオールスターズ
初期の傑作バラード、「栞のテーマ」。
こう始まります。
彼女が髪を指で分けただけ
それが シビれるしぐさ
しょっぱなから、言葉のない、言葉の不要な世界があって、
心にいつも アナタだけを映しているの
と続く。
問題(?)は次です。
恋は言葉じゃなく二人だけの Story
yeah
恋は言葉じゃなく
ええ、ええ、そうでしょう。
二人だけの
はいはい、
Story
と、こうくる。
歌詞についてああでもない、こうでもないと理屈をこね回すのは無粋極まりないとわかってはいるのですが、お付き合い願うとして、
言葉じゃなく、Story。
yeah
yeahと言われても
(という気がしないでもない)。
ストーリーっていうのは、言葉が積み重なり、つながってひとまとまりになって意味を持つものなのではないか。
言葉にほかならないのがストーリー。
国語辞典的にはこうなると思うのですが、栞とサザンとサザンのファンにとってはそうじゃない。
二人だけのStory
には
言葉が入り込む余地などないのです。
More Than Words
アメリカのハードロック・バンド、Extremeの
アコースティック・バラードで、全米チャート1位
を記録しています。
More Than Words
を直訳すれば、
言葉以上のもの
とか、
言葉をこえて
とかになるでしょう。
歌詞には、次のようにあります。
Saying 'I love you' is not the words I want to hear from you
It's not that I want you not to say
But if you only knew
How easy it would be to show me how you feel
「愛してる」っていうのが僕がききたい言葉じゃない、
って言ってるんだ
君がそう言わないことを望んでいる、というわけじゃないけど
でも、君がわかってくれさえすれば、と思ってる
感じているままを僕に表現することが、いかに簡単か、
っていうことをね
More than words is all you have to do to make it real
Then you wouldn't have to say that you love me
'Cause I'd already know
君の愛が本物だと証明するには、言葉以上のものしかないんだ
それがあれば、僕を「愛してる」なんて言う必要もなくなるだろうね
だって言わなくても僕にはわかるだろうから
英語を和訳していることを割り引いても、オフコースやサザンにくらべると、非常に饒舌です。
アイラブユーじゃ物足りないということを、これでもかというくらいあれこれ説明してくる。
言葉にできない、言葉じゃない、ではなく、
言葉を超えてくれ。
なぜならば、これこれこうだから
わかるだろ?
まあ、切々と頼むわけです。
ことばをめぐる愛情表現も、
日米でずいぶん違うものです。
女は無口な ひとがいい
八代亜紀の「舟歌」。
お酒はぬるめの 燗がいい
肴はあぶった イカでいい
女は無口な ひとがいい
灯りはぼんやり 灯りゃいい
女は無口な ひとがいい
これはおおかたの男性の
願望でしょうか。
もちろんそういった面は大いにあると
思います。
では反対に、女性の側に立ってみると
女の人自身は
無口な自分でいたいのか
そうじゃないのか。
わたしは自分から 云いよったりしない
当時は荒井姓だったユーミンの作詞作曲による「まちぶせ」は、
石川ひとみの歌で大ヒットしました。
この歌で主人公の女の子は
こう言うのです。
あの娘がふられたと 噂にきいたけど
わたしは自分から 云いよったりしない
別の人がくれた ラブレター見せたり
偶然を装い 帰り道で待つわ
好きだったのよあなた 胸の奥でずっと
もうすぐわたしきっと あなたをふりむかせる
この歌が世に出たのは
昭和の色濃い1976年、
当初は別の人が歌っていて、
5年後の1981年に石川ひとみがカバーした
という背景があります。
もうかれこれ40年以上前に作られた歌で
社会の価値観も人情も
当時とはかなり違ってきているはずですが
この歌は、松任谷由美のセルフカバー(1996年)はじめ、ほかのいろいろなシンガーが
好んでとり上げています。
(桑田佳祐、徳永英明ら、男性アーティストも)
こうした、
沈黙しつつ、遠くから相手にジッと念を送る、
みたいな
少々ストーカーめいた(笑)心情というのは
いつの時代でも日本人にはすっと受け入れられるのか、
と感じます。
わたし待つわ
80年代流行した歌の中で
あみんの「待つわ」は
外せません。
誰も私の心 見抜くことはできない
だけど あなたにだけは わかってほしかった
私待つわ いつまでも待つわ
たとえあなたがふり向いてくれなくても
待つわ いつまでも待つわ
他の誰かにあなたがふられる日まで
「いやいやいや、言えよハッキリ
わかってほしいんならさあ!!」
と突っ込みたくなるところでもありますが、
やはり私たちは
男女問わず
どこか
「女は無口な ひとがいい」
と感じる傾向が強いようです。
ついでに言えば
「男は黙ってサッポロビール」
ですから、
結局私たちは昔から今に至るまで
男も女も
「無口なひとがいい」
のです。たぶん。
ヒトはいつからきこえ始めるか
私たちが、人生の中でいつ聴覚を獲得するか、
については、だいたい妊娠8ヶ月くらいの胎児期だ、と言われています。
このころになると、お母さんがおなかへ話しかけると反応して赤ちゃんが動いたり、他人と話していて聞きなれない声だと緊張したように身体を動かしたりする、といった現象があらわれることがあります。
かわいいですねー。
音というのは、水の中だと、空気中よりもはるかによく伝わります。
クジラやイルカが、超音波を出して家族とか仲間とかとコミュニケーションをとることはよく知られていますが、
研究によると、四国の高知沖を泳ぐクジラのオスが求愛ソングを歌うと、その歌声は、驚くべし、およそ3,000km離れたフィリピン近海にいるメスのところまで届く、と言われています。
われわれがいくら海に向かって
「夕日のバカヤロォーッ!」
と叫んでも、フィリピンまではいかないですねえ。
おなかの赤ちゃんは、子宮を満たしている羊水の中に浮かんでいます。
この環境では、お母さんの腹壁を通じてくる音が、非常によくきこえると考えられます。
なんでもかんでも筒抜けになっていると思うと、出来るだけいい音、いい話をきかせてあげたいものという気がします。
お母さんの気分と赤ちゃんの機嫌
こういう実験結果があります。
妊娠中のお母さんに
ヘッドフォンをかけてもらい、
気持ちが穏やかになる音楽を流すと
胎内の赤ちゃんが指しゃぶりをする。
お母さんのリラックス感が
赤ちゃんに伝わり、
ご機嫌になって指しゃぶりを始める
ということのようです。
お母さんはヘッドフォンできいていますので、
赤ちゃんには何もきこえていません。
でも、音楽の心地よさが伝わっているらしい。
これはどういうことなのか。
考えられているのは、
お母さんが「幸せ」と感じることで
その気持ちをもったときのホルモンが
出てくる。
(「幸せホルモン」としては
「オキシトシン」などがよく
知られています)
そのホルモン分泌が胎内の赤ちゃんに
伝わって、赤ちゃんもご機嫌になる、
ということです。
声や音楽をきくのは、
気分に大きな影響を及ぼします。
そして、気分は人から人へと伝染します。
良きにつけ、悪しきにつけ。
これは、お母さんと胎児とに限らず、
社会に暮らす人同士にも
当てはまることです。
赤ちゃんの抱っこ
赤ちゃんを抱っこして、
寝かしつけようとしているところ
を、想像してみていただけますか。
さて、
このとき、赤ちゃんの頭は、
右、左、
どっちに来ているでしょう。
とても面白いことに、
ほとんどの人が、
赤ちゃんの頭を左側にして抱っこし、
寝かしつけようとするのです。

ソーク(Salk, L.)という心理学者が
研究のために集めていた、
お母さんが赤ちゃんを抱っこしている写真を
眺めているうちに
赤ちゃんの頭がお母さんの左胸に
乗っかっているものばかりである
ことに気づきました。
「あれ? なんだこりゃ」
ということになって
さっそく協力を呼びかけ、
225人のお母さんたちに、
「赤ちゃんを抱っこして寝かしつけるとき、
頭は右と左の、どっちにありますか?」
と尋ねました。
その結果、圧倒的多数の80%にあたる
お母さんが、
赤ちゃんの頭は自分の左側にくるように
している
と回答したのです。
さらに面白いのが、
この傾向は、
お母さんが右利きであるか左利きであるか
に関係なく、あらわれたことです。
なぜお母さんは、
赤ちゃんの頭を自分の左胸に
乗せるのか。
これには、ふたつの理由が
推測されていて、
まずひとつ目は、
お母さんの心臓は左側にある
心臓は生命のためにとても大切なもの
同時に、赤ちゃんの頭も非常に大事
この、大切なふたつのものを
いっぺんに守ろうとしている
本能的な行動
という説明です。
もうひとつは、
自分の心臓の鼓動を
赤ちゃんにきかせようとしている
というものです。
寝かしつけようと抱っこしているとき
赤ちゃんを支えている右手や左手は
何をしているでしょうか。
ほとんどの人は
トン、トン、と
赤ちゃんをやさしくたたいて
パルスを送っています。
心臓の鼓動をきかせるのと
同時にパルスの振動を送って、
安心して眠るように導いている
と考えられます。
なお、抱っこの研究は心理学者の興味を
大いに惹くらしく、いろいろと積極的な
実験がおこなわれています。
海外のある大学では、心理学コースの新入生を集めて、
1歳くらいの赤ちゃんとほぼ同じサイズの
人形を渡し、
「はい、これを本物の赤ちゃんと思って、
寝かしつけるように抱っこしてみて
ください」
と指示したところ、
やっぱり大部分の学生が、
自分の左胸に赤ちゃんの頭がくるようにした
というのです。
出産、育児を経験しているかどうかにも
関係なく、傾向があらわれるわけですね。
赤ちゃんが泣き止む音
赤ちゃんがぐずらないで
おとなしーく
しずかーに
してくれているのは
ただでさえ忙しいお母さんやお父さんに
とっては最重要課題です。
「赤ちゃんが泣き止む音」
は多くの人によって発見、開拓されていて
有名どころでは
スーパーのレジ袋をガサガサやる音
放送終了後のテレビの「砂嵐」
ドライヤーの音
などがあります。
われわれ大人にすれば
単なる
騒音
雑音
ですが、
赤ちゃんにとっては
お母さんのおなかの中にいたときの
血流音
脈・拍動音
がよみがえってきて
「一発で寝てくれる」
というもののようです。
「赤ちゃんが泣き止む、寝てくれる音楽」
として熱い支持を集めているのが、
財津一郎さんの歌とダンスが強烈な
「タケモトピアノ」のCMです。
これをきいて寝落ちする赤ちゃんが
続出(?)する一方、
あまりにも毎日ぐるぐると再生し続けて
お父さんとお母さんの耳から
離れなくなり、
不眠症に陥るという副作用の訴えも。
(まあ、ジョークでしょう)
何も言わないで
私たち日本人は
何か言うよりも
あるいは
言いたいのに
言った方がいいのかもしれないけど
言えない
言わない
黙ってる
そのせつなさ、もどかしさ、いじらしさ
が
キュンキュンするほど大好き
実に、こういう傾向があります。
自分自身、それを深く自覚するところです。
歌でそれを探してみても、まあ出てくる出てくる
検索の入れ食い状態。
枚挙にいとまがありません。
欧米の歌はどうなのか、
ほとんど調べていないのでよくわかりませんが
印象として、
Don't say Good-by
さよならと言わないで
とか、
Never say give up
もうダメだ、なんて言うんじゃねえ
みたいな
「〇〇は言うな」
という、相手に対する具体的禁止系が多く、
「何も言えない」「言わない」
と歌うのは
少ないような?
気がします。
あなたの一日が終わるときに
そばにいるね
何も言わないで
やさしいキスをして
(DREAMS COME TRUE 「やさしいキスをして」)
「わたしにはスタートだったの
あなたにはゴールでも」
涙うかべた君の瞳に
何も言えなくて
まだ愛してたから・・・
(JAYWALK 「何も言えなくて...夏」)
街の灯りは 遠くなびくほうき星
何もいわずに 私のそばにいて
こごえる夜は 私をとなりに乗せて
ゆるいカーブで あなたへたおれてみたら
何もきかずに 横顔で笑って
(松任谷由美 「埠頭を渡る風」)
懐かしさの一歩手前で
こみあげる 苦い思い出に
言葉がとても見つからないわ
あなたがいなくても こうして
元気で暮らしていることを
さりげなく告げたかったのに
(竹内まりや 「駅」)
「愛してる」っていうあなたの言葉は
「さよなら」よりも哀しい
これ以上 何も言わなくていい
だから この夜を止めてよ
(JUJU 「この夜を止めてよ」)
胸元が揺れたら しずくが砂に舞い
言葉も無いままに あきらめの夏
(サザンオールスターズ 「あきらめの夏」)
子どもの言い間違い
子どもは、可愛らしい言い間違いを
たくさんして
疲れた大人たち(笑)を
ずっこけさせ、癒し、励ましてくれます。
多くの子どもたちがやらかしてしまう
「定番品」
そのランキングは、たとえば次のような感じです。
1位 とうろもこし、とうころもし、とうもころし
⇒とうもろこし
2位 エベレーター
⇒エレベーター
3位 しわわせ
⇒幸せ
4位 おすくり
⇒お薬
5位 がじゃいも
⇒ジャガイモ
6位 きょうつける
⇒気を付ける
7位 ポックコーン、コップポーン
⇒ポップコーン
8位 やらわかい
⇒やわらかい
9位 おぎにり
⇒おにぎり
10位 たんぽこ
⇒タンポポ
子どもの言い間違い 2
幼児の言い間違いは、
発達心理学の観点から研究されています。
なぜ子どもは言い間違うか
については
耳から入ってきた音声を
頭の中でいっぺんに処理できる要素の幅と、
自分が口から発した言語を
自分自身でモニタリングできる能力
によるのだろう、
と考えられています。
前出の「言い間違いランキング」
を見ると、
言い間違いに種類と傾向があることに
気づきます。
ひとつは、子どもの
「舌足らずさ」に起因するもので
たとえば
「幸せ」が
「しわわせ」になり、
「気を付ける」が
「きょうつける」になる、
といったものです。
これは、大人でも、
「滑舌がいまいち」
な場合には出てくることであり、
その面では
子どもならではの可愛さではありますが、
われわれ大人にも、わりと連続しています。
一方、大人になるとめったなことでは
しなくなる子ども特有の言い間違いに、
「とうもろこし」
が
「とうもころし」
になる、
つまり「音(おん)」が
ひっくり返ったり入れ替わったりする、
「音位転倒」
があります。
音位転倒がなぜ起きるか
については
かなり詳細な研究報告がありますが
それを紹介しだしたら
皆さんがこのページを閉じてしまうと
思うので、やめます。
ごく簡単に申しますと、
子どもにとって
苦手で不自然な音(おん)の
連なり
があって、
それに出くわすと
子どもの頭の中で
自分が言いやすいものに変換される
ということのようです。
言いまつがい
同じ言い間違いでも
大人は子どもと違って
長い間の思い違い、勘違いが
原因だったり、
仕事中に、意図せずとっさに出た
ひとことが
周囲を凍り付かせたり
爆笑に巻き込んだりする
ことがあります。
それをまとめているのが
コピーライター、糸井重里さんの主宰する
ウェブサイト
「ほぼ日刊イトイ新聞」
上の連載コンテンツ、
「言いまつがい」
です。
単行本、文庫本にもなっていますが
電車の中やファミレス、または銀行で呼ばれるまでの間などに
読んでいると
いきなり吹き出してしまうことがあるので
人前で読むことはお勧めしません。
●バイトしていた会社のエレベーターで、
私は後から乗ってきたおじさんに
「何階でござるか?」と言ってしまい
ました。
●友人にチョコをもらったので、
私も何かお返ししようと思い
言った言葉が
「アムとガメ、どっちがいい?」
‥‥飴とガムって言いたかったのに。
●夫と娘と3人での外食中。
ご機嫌でひとりお酒を飲んでいた夫が、
「お酒、もう一本頼もうかなぁ‥‥」
と言いつつ、通りかかった店員さんに
「すいまぽん」と。
いくらなんでも略しすぎ。
●「さーて布団でも食べるか!」
と、さっき母が言ってました。
うどんが食べたかったらしいんですけど。
こんなエピソードが満載です。
Close your eyes
どうも英語の歌には、
Don't say anything
何も言わないで
という歌詞があまり見当たらない、
ほとんど出てこない
という感じがします。
「何も言わないで」
「何も言えない」
の歌詞が入れ食い状態で
思い当たる日本の歌とは
ずいぶん違う。
その一方、英語の歌に頻出する
フレーズに、
Close your eyes
目をとじて
があります。
これは、見つかります。あちこちで。
Close your eyes
and I'll kiss you
Tomorrow I'll miss you
Remember I'll always be true
目をとじて
キスをするから
明日はきみがいなくて淋しくなる
忘れないで
僕がいつでも本気だってこと
(The Beatles "All my loving")
Close your eyes
Give me your hand, darlin'
Do you feel my heart beating
目をとじて
手を差し伸べて あなた
感じる? 私の胸の鼓動を
(The Bangles "Eternal Flame")
Close your eyes, make a wish
And blowout the candlelight
For tonight is just your night
We're gonna celebrate, all thru the night
目をとじて 願い事をしてごらん
そして、キャンドルを吹き消すんだ
今夜は君だけの特別な夜
僕らはお祝いするのさ 一晩中かけて
(Boyz Ⅱ Men "I'll make love to you")
Close your eyes 2
日本と欧米、それぞれの
歌詞に描かれている光景や
男女の機微を考えてみると
お互いの感情の
クライマックスとか
すれ違いや別れの決定的な場面とかで
日本人は
「何も言わないで」
と言い
欧米人は
「目をとじて」
と言うことが多いらしい。
この違いは何なのでしょうか。
なぜ、こうなるのか。
少しうがって考えてみますと、
日本人は
コミュニケーションの核心や真髄、
いうなれば
勝負のときに、
言葉は不要
むしろ邪魔?
と思っている。感じている。
目に見えるものや
あるいはそこに流れる空気感、
雰囲気こそが本物である、と。
欧米人は逆の感性なのではないか。
感極まったとき、
目に見えるものは邪魔になる。
今度こそ言ってやる
欧米で
恋愛の勝負のときに視覚を閉ざしたら、
どの感覚を頼りにするのか。
相手に目をつぶらせといて
何をするかと言えば
たいていはキスやらハグやらに
持ち込むことになるので
ここで大事なのは
まずはやっぱり触覚、
さわった感触だと思います。
「目と一緒に口も開けるな」
というわけではないので
しゃべるのは自由です。
欧米の場合、
二人きりで盛り上がるというときに
黙ったまま愛情確認作業に没頭するのは
恋愛作法としてNG
なのかもしれないですね。
ダイレクトにさわった感じが
大事なのに加えて
甘いささやきや息づかいも
重要なファクターですから(たぶん)
聴覚も大切なはずです。
日本の場合、
恋愛が成就したときも
いい雰囲気のときも
反対に、別れるときも
「何も言わないで」
「言葉にならない」
が定番です。
ところが欧米では、
うまくいっているときはともかく
別れるとなった日には
黙っているなんてあり得ません。
I say, "I hate you,"
we break up,
you call me, "I love you."
Ooh, we called it off again last night
But ooh, this time I'm telling you, I'm telling you
We are never ever ever getting back together,
We are never ever ever getting back together
私は言った、"だいっきらい"、
私たちは別れた。
そしたらあなたは電話をしてきて"愛してる"って
私たちはまたそれを昨日取り消したの
でも、今度こそ言ってやる、言ってやるわ
私たちはもう決してヨリを戻したりしない
私たちはもう決してヨリを戻したりしない
(Taylor Swift
"We Are Never Ever Getting Back Together")
始めに言葉ありき
いい時も悪い時も
とにかく黙っていないのが
欧米の文化であり、人間関係である
ようです。
言語によるコミュニケーション、
verbal communication
が、人間関係の大前提になっている。
もちろん、アメリカやイギリスにだって
non-verbal communication
非言語コミュニケーションはあるはずですが
ウェイトは言語のほうに置かれているらしい。
ここで思い出すのが、
新約聖書「ヨハネによる福音書」の
冒頭の一行、
始めに言葉ありき
In principio erat Verbum
です。
この書き出しについては、
この世は神の言葉によって作られた
あるいは
世界のあらゆるものはすべて言葉によって
成り立っている
など、複数の解釈がなされているそうです。
なお、旧約聖書の「創世記」、「天地創造」では、
この世が次のように始まったと説かれています。
第一日目、まだ何もない真っ暗な世界で、
神が
「光あれ」
と言うと、光ができた。
神は光と暗黒とを分け、光を昼、暗黒を夜と呼んだ。
ここでも、神の言葉がすべての始まりです。
欧米の精神文化の根底をなす
キリスト教においては、
この世は言葉で出来ている
言葉がすべて
と考えられているわけなのでしょう。
言葉がなきゃ始まらない。
そもそも、言葉抜き、なんていう前提が
あり得ない。
このあたりに
「目はつぶっても口は閉じるな。何か言ってくれ」
と、言語優位のコミュニケーションが当たり前である
文化的特徴の原点がありそうです。
「こおろこおろ」
日本では、この世の始まりは
どうなっていたか。
キリスト教と対比すると
仏教、
ということになりそうですが、
仏教はそもそもインドで成立した
宗教であり、
伝来の時期はかなりずれていますが
輸入思想という点ではキリスト教と
共通しています。
日本古来となると、
『古事記』
に書かれた「国生み神話」
がそれに該当することになります。
古事記では、
世界が天と地に分かれた時
天上から下界を見てみると
そこにはまだ大地と呼べそうなものはなく、
クラゲのようなものが
頼りなくゆらゆらと
漂っていたことになっています。
そこで、男女ペアの神様、
イザナギとイザナミが天から派遣され、
持っていけと言われた
「天沼矛(あめのぬほこ)」を
どろどろした海へエイヤと突っ込んで、
「こおろこおろ」
とかき混ぜ、
よいしょっと引き抜いたら
矛先からしずくがぽたり、ぽたり。
それが固まって淡路島(おのころ島)が
出来た
それが日本国の始まり、
と、大雑把ですがこのようになっています。
国生みにあたって、言葉は特に役割を果たしておらず、
イザナギイザナミが
棒で海をぐるぐるかき回す、という
共同作業によっているわけです。
聖書の神様が、ひとこと
「光あれ」
と言っただけで
この世が始まったのと比べると、
日本の場合はなんといいますか、
ほほえましいというか
人間くさいというか
それぞれの文化、教義の、
いちばん最初の、原初の部分が
「言葉」であったか
そうじゃなかったか、というのが
その後の文化発展の方向性を大きく左右したように考えられます。
そして、その違いが、
およそ2,000年がたったあとの
ポピュラーソングやロックンロールにおける
恋愛の歌われ方においても
くっきり異なってあらわれるようになったのではないか
こんなふうに、考えられるのです。
言霊
日本人が
言葉、言語を
軽視しているか、というと、
決してそんなことはなく、
皆さんもよく耳にすると思われる
「言霊(ことだま)」
の思想が日本には古来からあります。
言霊とは、
言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと
(ウィキペディア)
です。
言霊の力によって、
声に出して発した言葉が
現実に起こることへ
何らかの影響を及ぼす、と
され、
良いことを言えば良いことが起こり、
悪いことを言えばその通りに悪いことが
起きてしまう、
と信じられて来ました。
ここで注意したいのは、
言霊思想は
人と人との言語コミュニケーション
のことに関係するのではなく、
人間と霊界、あるいは神の領域
とのことが問題となっている、
すなわち、人智の及ばない
言霊「信仰」である、
という点です。
1991(平成3)年に亡くなった
評論家の山本七平は、
現代日本にも
言葉に呪術的要素を認める言霊の思想は残っている、として、
「これが抜けない限り、まず言論の自由はない」
と論じました。
山本の主張を少し具体的に言いますと、
たとえば、太平洋戦争中に
「敗戦主義者」
と非難された人たちは
スパイ活動をしたり
兵役をサボったりして
戦争指導体制の足を引っ張る
人のことを指すのではなく、
「こんな戦争に勝ち目はない」
とか
「日本は負けるに決まっている」
などと
口に出して言った人たちのことだ、
と述べています。
言霊信仰の呪縛は
日本人の心性に色濃く影響を及ぼし、
そのために
「起こったらいけないこと」
「あってはならないこと」
は言っちゃいけないと、みんなが自分で口にチャックをして、
都合の悪いことは議論しない、
こういう風潮が根強く残っている
と言うのです。
日本人が、とことんまで議論を
戦わせることを好まず、
「言っていいことと悪いことがある」
といって、
「悪いこと」を言うのを封じようとするのは、
なるほど、確かにこういうところへつながっている可能性は大きい、
と思わされます。
「口は災いの元」
ということわざが、
私たちの日常にきわめて大きな
影響力を持っているのも、
おそらくここにベースがあります。
そして、なんでもかんでも思ったことを口にする人とは、
「さわらぬ神にたたりなし」
として、付き合わないのです。
耳を洗う
ことわざ検索のサイトで
「耳」
を含むことわざを調べてみたところ
思ったより少ない印象でしたが、
17個、見つかりました。
ぱっと思い浮かぶものとしては
耳に胼胝(たこ)ができる
馬の耳に念仏
壁に耳あり障子に目あり
寝耳に水
などがあります。
聞く機会があまりなく
「どういう意味だろう?」
と思うようなものに、
たとえば
「耳を洗う」
がありました。
「首ィ洗って待っとけこのやろォ」
とケンカでののしり合うのは意味がわかりますが
「耳を洗う」とは?
(ご存じの方には
「釈迦に説法」で
すみません)
これは、
「世俗的な立身出世を避け、清廉潔白を保つこと」
を言います。
古代中国に
許由(きょゆう)
という人がいて、
この人がある日、
皇帝の堯(ぎょう)から
「おぬしに天子の位を譲ろう」
と言われました。
許由は
その人格の高潔さが
世に知られた人で、
堯帝もそれを見込んで言ったわけですが
それを受けて許由は
「汚れた話を聞いた」
と川で耳を洗い、
山へ隠れてしまった
ということです。
口を慎め
前の方で
「口は災いの元」
を載せましたが、
「耳」
の次に
「口」
を含むことわざを検索したところ、
まあ出てくる出てくる
耳が17個
だったのに対して、
口は、68個ありました。
お察しの通り、
おしゃべりをいましめるものが
非常に多くあります。
能なしの口叩き
これと共通する意味を持つものには、
負け惜しみの減らず口
見知らずの口叩き
長口上はあくびの種
年寄りて達者なものは口ばかり(これちょっと気の毒ですね)
など、ずらりと並びます。
それから、
「黙って手を動かせ(仕事しろ)」
と叱るものに
口が動けば手が止む
口自慢の仕事下手
口叩きの手足らず
手が空けば口が開く
等々があります。
田んぼで集団作業をして
稲を育て
それで営々と生きてきたわが日本民族にとっては
とにかくだまって仕事に打ち込めと
子どもたちを教育する必要があったでしょう。
しゃべってたって
お米は一粒も実らない、というわけです。
それから、
「口は災いの元」
と同じく、
よけいなことは言うな、
といましめることわざは
ほかにもあります。
口と財布は閉めるが得
病は口より入り、禍(わざわい)は口から出ず
衆口、金を鑠かす(多くの人の言ったことが、金属を溶かすほどの恐ろしい結果を招く)
口から出れば世間(いったん口に出したことは世間に広まるものだから、口は慎みなさい)
おそらく、儒教など
中国由来の思想がもとになっているものも
あると考えられますが、
これらのことわざを見ると、
日本人が
いかに
おしゃべりを嫌い、
沈黙を美徳としてきたか
このことがよくわかるように
思います。
リクルートメント現象
加齢性難聴の方にとっての
快適なきこえかた、
を考える際
重要な概念になるものに
「リクルートメント現象」
があります。
リクルート、といいますと、
ほとんどの方は
学生や若者の採用
の意味を思い浮かべることでしょう。
recruitment
は、もともと
人員(とくに「新兵」の)補充、募集
を意味する言葉です。
これが聴覚にどう関係するのか、ということですが、
リクルートメント現象は
そのまま、「補充現象」と直訳されます。
何を指してこう言うのかと申しますと、
聴力の健常な人に、
小さい音は小さくきこえ、
大きい音はその大きさに応じて大きくきこえます。
言葉を替えると、
音の大きさと
きこえる感じ
とが、比例しています。
ところが、難聴の人にとっては、
この比例関係がくずれます。
小さい音がきこえにくい、
あるいはきこえない、
というのはその通りなのですが、
反対の
大きい音が、
「よけいに大きくきこえる」
ことが起こるのです。
「ボリュームの大きさがいっそう補充される」
という意味で、
リクルートメント現象
と呼ばれます。
内耳の中、
蝸牛(かぎゅう)にある
有毛細胞が障害を受けていると、
この現象が起こると言われています。
テレビドラマを見ていて
セリフが聞き取りづらいので
ボリュームを上げている
ところへもってきて
いきなり食器棚が倒れ、
皿やコップが
「ガッシャーン!」
と砕け散ったり、
刑事もので
「バン! バババン!!」
と拳銃をぶっ放したりする音、
こういうのが、いきなりものすごい音できこえてびっくりする。
リクルートメント現象では、こういう
思いがけず大きくきこえる音は、
非常に不快に感じられます。
「〇〇さん」
と、ふつうの声で呼びかけたら
返事がなく、きこえていないようだったので、
少し近くへ寄って、
「〇〇さん!」
と大きな声で呼んだら、
「なんだよ!そんなに怒鳴らなくたって
きこえてるよ!」
と、怒られてしまった。
高齢の方と接していてこういう経験のある方は、
けっこういらっしゃいます。
こちらとしては、えらい剣幕で怒られると心外なのですが、
これも、リクルートメント現象が原因と考えられます。
難聴への対策として
「ボリュームを上げればいい」
というのは不十分で、
ほとんどの場合、
快適なきこえ方をもたらしてくれる
わけにはいきません。
その意味では、
補聴器は
ボリュームを上げることだけを
目的とした機器ではない
と言えます。
子育てと五感 1
テレビのドキュメンタリー番組などで
野生動物のコロニー(営巣地)の
映像が映ると、
「あの中から、なぜ、どうやって、
自分の子ども、自分の親を
見つけられるのだろう?」
と、いつも不思議になります。

子育てをする動物が
自分の子どもを認識する方法には
3つあるそうで、
まずは見た目、視覚です。
ほとんどすべての動物は、
丸っこい姿で生まれてきます。



人間や動物の
大脳皮質には、
「丸いものはかわいい」
という遺伝的な情報がインプットされている
そうです。
目の前に
丸っこいものが存在していると
「かわいい!」
「育てなきゃ」
「守らなきゃ」
という本能が発動するもののようです。
子育てと五感 2
群れの中から我が子を、
大勢の大人の中から自分の親を
区別し、見つけ出すのに
嗅覚が役立ちます。
人間は進化の過程で
においを識別する能力を
かなり失ってきたようですが、
多くの動物は、
人間より数十倍、数百倍も
すぐれた嗅覚をもっています。
においで自分の家族を
見つけ出すことができ、
決して間違えません。

聴覚も
親子のきずなを形成します。
鳥のひなは、卵から生まれる
30時間くらい前から卵の中で
鳴き出します。
ひなの声が卵の中からきこえると、
その時には親も必ず応えるそうです。
この、生まれる前からの鳴き交わしが、
親子のきずなをつくります。
ペンギンや、アホウドリなどの海鳥が
コロニーでいっぺんに生まれてきて、
どうして自分の親を見分けるのかというと、卵の中で聞いた親の声をしっかりと覚えて
いるからだと言われます。

「事実であっても言葉に出さない」1
読売新聞に
「人生案内」という
読者からの人生相談コーナーが
あります。
あるとき、次のような相談が載って
いました。
全文では長いので、抜粋引用します。
>20代の女子学生。
自分が思い描くような恋愛をしたいです。
思い描いている恋愛とは、
友人関係を築いてお互いを知り、
内面にひかれ合って
付き合うことなのですが、
男友だちができたことがありません。
・・・
・・・
私はアルバイト先で
お客さんから手紙をもらったり、
ナンパされたりすることがよくあり、
容姿端麗で人当たりの良いところが
あだになっているのかもしれません。
・・・
・・・
私は完璧主義で
ストレスを抱え込みやすいため、
付き合っていた相手と別れると悲しくて
ダメージを受けてしまいます。
・・・
・・・
結婚を意識する年齢になり、
パートナーを慎重に選べるように
なりたいので、
アドバイスをお願いします。
「事実であっても言葉に出さない」2
さて、
この、若い女性からの恋愛相談に対して、
担当回答者であった作家の方は、
次のように指南しています。
>恋愛に限らず、
願いが成就する早道の一つは、
自分の弱点を知ることだと思います。
・・・
・・・
あなたは異性と付き合っていると、
相手の短所が次々と見えてきて、
嫌になってしまう。
もっぱら相手の短所のみが
目について、
自分の短所には気づかない。
あなたの弱点です。
・・・
・・・
あなたが相手を嫌になったのではなく、
実は逆です。
・・・
・・・
自分がどんな人間であるか、
わきまえて交際してこそ、
本当の恋ではないでしょうか。・・・
このようになかなか手厳しいのですが、
私(=小川)が手厳しさ以上に
興味を惹かれたのは、
回答者が最後の部分で、
次のように述べていることです。
>あなたは自己紹介で、
容姿端麗
とお書きになりました。
事実であっても言葉に出さないことが、
人との付き合いでは大切です。
こういうことを理屈でなく学び、
身につけていくという姿勢が大事です。
この助言が正しいか否か、
良いか悪いか、
は、さておくとして
(かなり、個人の価値観によって
分かれると思います)
「事実であっても言葉に出さないことが、
人との付き合いでは大切」
というのが、
きわめて日本的、
だと感じました。
もちろんこういう感覚は
世界各国どこの人にも
濃淡の差はあれ
共通する部分が
あるだろうと思います。
ただ、おそらく
日本人にはこの精神文化が
際立って根強い、と考えられます。
「それを言っちゃあ、おしまいよ」
なのです。
言わぬが花
饒舌より沈黙を是とし、美徳ととらえる
日本人の心性をあらわす言葉としては
「言わぬが花」
というのもあります。
>はっきり言わない方が味がある、さしさわりがない、の意
(広辞苑)
同じ広辞苑で、似たような慣用句を見てみたところ、
「言わぬは言うに勝る」
が載っていました。
>多弁より黙っている方が、思いは通じること。また沈黙を守る方が安全であること
黙っている方が「さしさわりがない」とか「安全」だというのも、これまた、良し悪しはともかく、大変に日本的です。
日本人は伝統的に、集団や組織の「和」を、ことさら大切にしますので、それをかき乱したり、こわしたりしかねない余計な発言は、厳にいましめられる、ということなのでしょう。
やはり、何千年にもわたって稲作で生きてきた農耕民族のDNAが日本人に脈々と受け継がれ、それが私たちの精神文化の土台を作っているのだと思います。
水田の農作業は、一人や一家族ではできず、トラクターや田植え機、コンバインがなかった昔であればなおさらです。村を挙げて総出の仕事になります。
また、あらゆる作業が自然環境や天候に支配され、個人の自分勝手な思い込みや好みも許されません。
組織の和を乱す者は、「村八分」にされます。
ですから、自分や家族の身を守るためにも「言わぬが花」なのです。
秘すれば花
思っても言わない、本音は隠しておく、
という日本的な感性が
抽象芸術の域に高められたのが
能
だと言えるでしょう。
能の創始者である観阿弥は
室町時代、
1370年ころから
活動を始めます。
そして、観阿弥の息子、
世阿弥
が、能の理論書である
『風姿花伝』
を著します。
風姿花伝には、能の
修行法・心得・演技論・演出論
などなどが書かれていますが、
その中の有名な一節として、
「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」
があります。
ここで世阿弥が言う「花」は、
芸能のもっとも大切な勘どころ
一世一代の見せどころ
のようなもの
である、とされます。
秘すれば花なり
秘せずは花なるべからず
「花」は、あからさまに、あけっぴろげにするものではない。
そんなことをしたら、「花」ではなくなってしまう。
そうではなく、「花」は、自分の中に秘めておくものである。
最初から、「花」となる見どころを明かしてしまえば、 相手は面白さを感じるわけはない。
ここぞ、という場面で表現するために、準備し、温めておくものなのだ。
おおかた、このような論理になります。
また、世阿弥は、
「花」は、観客の心の中に現れるものである
とも、説いています。
演者が「花」を用意して観客に見せつける、
能とはそういうものではないのだ、ということでしょうか。
いずれにしても、日本の古典芸能の粋である
能においても、
ことばを超えた世界が
きわめて重視されている
と、言えるようです。
「早口電話でだまされそうに」
読売新聞「気流」に
「早口電話でだまされそうに」
と題する、90歳女性からの投書が掲載されていました。
一部を抜粋引用いたします。
>警視庁の鈴木、と名乗る男性から、
「あなたの信用金庫のカードが偽造され、お金が
引き出されています」
と早口で電話がかかってきました。
「〇〇信用金庫ですね」と言われ、その信用金庫は知らなかったので、振り込め詐欺を疑い、途中で電話を切りました。
>すぐに警察へ電話すると、「留守番電話の設定にしておいた方がいいです」と言われました。
これまで何度も詐欺と思われる電話があり、それを心配した息子が通話録音機能が付いた電話機を買ってくれたので、少し油断していました。
>振り込め詐欺に注意するよう、ニュースなどで呼びかけていますが、早口で本当だと思えるような話をされると、だまされそうになります。
高齢者をだます悪人は本当に許せません。
この方の素晴らしかったのは、まず、電話を「詐欺では?」と疑い、途中で切る勇気を発揮されたことです。
日々、高齢の方に接する仕事をしていますし、身内にも年寄りが多いのでよく感じるのですが、高齢者の多くは他者に親切で人が良く、遠慮深いため、かかってきた電話を途中でバシッと切ることができません。
その結果、話しているうちに相手のペースに巻き込まれてしまいます。
また、この方が次のように指摘していることは非常に重要です。
「早口で本当だと思えるような話をされると、だまされそうになります」
早口についていけないという弱点は、加齢性難聴の特徴の一つです。
「声は聞こえているが、何を言っているかよくわからない」。
耳の遠い状態で長年を過ごすと、この弱点がますます大きくなってしまうことが懸念されます。
早めの補聴器使用開始は、有効な対策になり得ます。
詐欺犯には、相手のことを思いやる気持ちが欠落しています。もっともそうでなければ、高齢者をだますなどということは出来ないでしょう。
だいぶ残念な世の中ですが、自分の身は自分で守るしかないのが現実です。